「家事を分担する」ことに隠されたとんでもないデメリットとは?

分担するという行為自体は別に悪いことでも何でもありません。
ところが、家事に関していえば、悪いどころかこの上なく愚かな発想です。

  • 家事の分担
  • 家事を分担する

ごくごくふつうの表現です。
聞いて違和感をもつ方はいないのではないでしょうか。

その何の変哲もない表現に対して僕はこう思います。

「そんなものこの世からなくしてしまえ」
「そんな発想がすべてをダメにする」

あらあら、今回は冒頭からかなりハードな展開を予想させますね。

分けるという発想がよろしくない

分担して行いましょう

担というのは、文字通り分けるということです。
これって後ろ向きな発想なんですよ。

まったく同じことをこういったらどうですか?

力を併せて行いましょう

聞いただけでなんとなく前向きな感じがしてきませんか?

家事は分担してはいけません。協力して行うのです。

「え? どう違うの?」

と今ひとつ腑に落ちないかもしれませんが、ご安心ください。

この記事を読み終えるころには、目の前の霧が晴れたかのような爽快感に包まれているはずです(微笑)

力を併せることが協力である

協力とは何か?

こう問われたら、どう答えますか?

一般的には

力を併せること

ではないでしょうか。

当たり前のことみたいですが、「合わせる」ではなく、併せるとしたことに注目していただきたいんですね。

複数のものを一つに集めるという意味合いです。

これに対して、「合わせる」のほうは、揃えるという意味合いで使われます。
息を合わせて行うなんていいますよね。

つまり、協力といった場合、力を併せればいいということになります。

では、そのときの併せ具合ってどんなものでしょうね。

なぜ比率を気にするの?

今の時代、何ごとも平等で不公平ではないことが理想的なのでしょう。

協力といいながら

  • どうして自分ばかり・・・
  • あいつは全然・・・

といった考え方をする人が多いようです。

わかりやすくするために、二人で協力して10の作業をするとしましょう。

先ほどのような人たちには、5ずつ分けること以外考えられないでしょうが、普通は、ある程度の許容範囲があるものです。

どれぐらいが適切でしょうか?

6:4ですか?
7:3ぐらいまで認められますか?

人によって価値観は違うことでしょう。
でもね、答はあるんですよ。

ご存じない方が多いというだけで。

0じゃなければOK

さすがに0というのは除外します。
10:0以外なら何でもOKです。

まったく協力の意思がない場合を除けば、比率などどうでもいいということですね。

比率を決めずに分担すること

それが協力です。

「協力しよう」
という決断をした瞬間、このことを了承したことになっているんですよ。

ところが、どういうわけか、半々だとか平等だとかいう感覚を持ってしまう方が多いんですよね。

「アタシなんかあれもやってるし、これもやってるんだから」

こんなセリフがまさにそれに当たります。

  • 少しでも相手に多く負担させようとする。
  • せめて、半々と思えるところまでは負担させたがる。

こんな発想しかできないから、よいパートナーシップを築けないのです。

実際には、ほとんど自分だけが負担するところまで幅を持って、引き受ける覚悟が必要だということです。
本来、結果が不服だなどということ自体が理不尽なことだったのです。

一方、役割をきちんと分担し作業する場合は、協力とはいえないことに気づきませんか?

自分の分担をきちんと遂行すればいいだけで、だれとも力を併せていないじゃないですか。

こんなに異なる協力と分担を混同してしまうことが多いんですね。

やっぱり自分の感じ方に問題があった

相手が自分よりたくさん負担してくれたと感じると、申し訳ないと引け目を感じ、自分が相手よりも多く負担した場合、自分ばかりがという損失を感じ、相手を非難したりします。

ここに問題があるのです!

次のようにすればいいだけです。

相手が自分よりたくさん負担してくれたと感じたなら、素直に感謝し、自分が相手よりも多く負担したのなら、役に立てたことに喜びを感じればいいのです。

まとめ

諸悪の根源は、平等という発想です。
その平等を目指そうとする分担という発想もよい結果をもたらしません。

パートナーとの関係も、
引け目と損失というものではなく、感謝と喜びであるべきなのです。

幸運にもこの記事にめぐり逢えたあなたは、つぎの二つのどちらが理想的か理解できたことでしょう。

家事を分担しましょう

協力して家事をしましょう