事実通りかどうかなんてことには意味がない

以前、こちらの記事で、「事実が思っていたものとまったく異なっていた場合」についてお伝えしました。

かなり驚かれた方も多いことでしょう。
事実が自分の人生と何の関係もないなんて、考えたこともなかったでしょうからね。

今回は、それを実際に体験していただきます。
まず、今回のアイキャッチ画像について。

これは先日マンハッタンで妻が撮影した僕の後ろ姿です。
実は妻は写真を撮るのがものすごくヘタなんです。
これも手ブレがひどくって下半身しか写っていません(笑)
ただ、かえってそれが功を奏していい感じの一枚に仕上がっていたので、削除せずにとっておいたのです。

という話から、あなたが何を感じるか。

  • ああ、あの記事の旅先ってニューヨークだったのか…
  • いや、記事ネタのための作り話さ

実際は…いや、やはり正解は伏せておきます。
なぜなら、ここで僕がどんなに「本当のことだ、事実なんだ」と訴えようが、何の意味もないからです。
どんなに何を説明しようが、あなたはマンハッタンで僕と会ったわけではないので、事実を突き止めることなしに判断するしかないのです。

このようにあなたはさまざまなことについて、事実かどうかを無意識に判断して自分だけの現実をつくっているのです。

無意識に?

そう、今は僕がお題を出したから気にしただけで、普段はこういったチェックをせずに自分の中に取り入れてしまっているものが多いものです。

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「そういえば、今度行こうといっていたあの店、閉店したんだってよ」

親しい人からこう聞いて、いちいち疑いますか?

…ですよね。
事実とはこうやってあなたの中に生成されていくわけです。

考えてみてください。
あなたが事実だと思いこんでいるもので、絶対にそうだと言いきれるものってどれだけありますか?

ところで、あなた今これをどこで読んでいますか?
近くに誰かいますか?

もし、一人で読んでいるとしたら、すぐに振り返ってみてください。

そこには、ナイフを振りかざした男が立っていたりしませんから。

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さて、いい気分ですか?
否定されたことにより、何ごともなかったでしょうか?

否定された瞬間に、ナイフを振りかざした男を思い浮かべた事実がかき消されましたか?
そうでない限り、そのとき抱いた感情は消えません。
否定なんてその程度のものなのです。

次の例をご覧ください。

あるとき何かを知り、それを事実だと判断したあなたは、憂鬱な気分になりました。
ところが、しばらくして何かの行き違いによるもので、事実ではないことを知りました。

さあ、憂鬱な気分にさせられた出来事が否定されました。
それにより、嫌な思いをしたことが、きれいにかき消されましたか?

はじめに抱いた感情は、その事実が否定された場合も、そのままの場合も何ら変わりません
いってみれば、毎度まいど何かを事実だと判断しながら自分で現実をつくっているのです。

思考の法則が伝えています。

思考は現実化する

これってあたり前のことだったのです。
自分で現実をつくり、何の根拠もなしにそれが事実通りだと判断しているわけですからね。
宇宙の法則ってあまりにもあたり前のことばかりなので、疑ってかかったりするだけ無駄なんですよ(笑)

それを日常に活かすなら

「心配ないよ」
こんな言い方をせずに、「安心していいよ」 というべきなのです。
「心配すること」「安心すること」という、正反対のことを連想させてしまうわけですからね。

否定など大した効果がないことがおわかりいただけたところで、質問です。
さて、あなたはどちらのエンディングがお好みでしょう?

この記事を読み終えたあなたには、人間関係に悩まされる憂鬱な日々や耐え難く辛い経験が待っていることなどありませんから、心配ないですよ。

この記事を読み終えたあなたには、よりよい人間関係に恵まれた日々が訪れ、豊かで満ち足りた経験が待っているはずですから、安心してくださいね。