あなたにとって本当に無縁な人はこんな人だった

○○県にお住まいの△△さんから、次のようなメールをいただきました。要するに匿名希望の方ということですね(笑)

 

いつも参考にさせていただいてます。
先日の記事を読ませていただき、疑問が湧いたので質問します。
 
(中略)
 
「極性の法則が示すように、どちらの極に寄っていようが、関心を持てるということが無関心な者たちより縁があるという証拠だからです。」
という部分がわかりづらかったです。
 
(中略)
 
宇宙の法則やほしのさんのお話を信じられる人たちだけでなく、どうして疑っている人たちが、縁がある人なのかがサッパリです。
正反対なわけだし、最も疎遠な人の誤りなのでは?よろしかったら、ご説明いただけませんでしょうか?

 

 

この記事というのは、下記のものです。

「世界は一つだ」なんていう人はとんでもないホラ吹きです
ある人にいわれたんですよ。 「どうしてブログしかないのに、サイトって呼んでいるんですか?」ってね。 は? 一瞬、何を言っているのかわかりませんでしたが、くわ...

よくシンクロニシティーだといわれているものが、投影の法則の観点から考えれば、至極当然のことだ、とズバリ斬ったものでしたね。

 

質問内容を整理しますと、おそらくこんな感じだと思います。

ある説に対して、肯定的な人と否定的な人がいるとき、両者は正反対なのだから否定的な人たちは縁がないように思える。どうして両方とも縁があるといえるのか。

 

まず、単刀直入に、質問にお答えすると、

「いいえ、誤りではありません」となります。

 

 

こんなたとえを思い浮かべてください。

  • 野球が好きな人
  • 野球が嫌いな人

この場合、それぞれは相反する人たちのように思えますよね。

わかりやすくするために、

「好き」という方向性を、+(プラス)
「嫌い」というほうを、-(マイナス)

ということにしましょう。

たしかに、それぞれは反対の方向に向かっているようです。
プラスとマイナスという両に向かっているわけですからね。

 

好き嫌いメーターを使用し、各々の好き嫌い指数を計測すれば、真ん中の50以上を「好きな人」、50未満を「嫌いな人」と分類することができ・・・るわけないでしょうが(笑)

 

要するに、好きと嫌いなんてカンタンに考えようとするから、勘違いしてしまうんですよ。一口に好きだといっても、人によりその程度が異なりますからね。

とにかく好きで「どんなスポーツよりも好きだ」

という人もいれば、

好きなんだけど「テニスに比べるとそれほどでもない」

なんて人がいるかもしれませんよね。

 

という具合に、好きな人グループの中でも、より好きな人とさほどでもない人がいるのです。

その両者を比較したら、さほどでもない人はより好きな人に比べ、嫌いな部類だといえるかもしれません。

こう考えると、とても数値化なんてできるわけがありません。

 

すべての人たちの真ん中を定めることは不可能だということですから、どこからが好きで、どこからが嫌いということは決められないのです。

完全に二つのグループに分けることなど不可能だ、ということが理解できましたか?

 

 

ここで整理しておきます。

無限につづく、プラス・マイナス両方向に伸びるものさしの中で、どの位置にいるのかが定められるだけで、真ん中は決められない。

方向性についてはプラスかマイナスかは決められるが、それぞれの要素に関してはどちらであるという言い方はできない。

 

このように、両者は同じ性質に関して程度を問題にしているという意味で、同じグループに属していると考えられるのです。

それに対して、関心や興味がないという人たちは、程度を問題にする以前なのです。
いってみれば、エントリーすらしていません。部外者ということですね。

 

  1. 賛成
  2. 反対
  3. 意思表示せず

という三者がいた場合、

一般的には、1が応援、2が敵対、3が中立と分けられるでしょう。
ところが、これがとんでもない思い違いなんですよ。

正しくは、

1と2が応援3が敵対

です。

「なんで~?」という反応は正常でしょう。
とても自然です。

 

賛成も反対も反応するという意味合いでは、まったく同じ行動です。

ところが、意思表示をしないというのは、同じかどうか以前の問題です。反応すらしないわけですから。反応の内容をとやかくいうことすらできないわけです。

関心を示してくれて、反応までしてくれる人と、無関心で何のフィードバックもしてくれない人とでは雲泥の差があるということです。別の世界に存在しているといってもいいほどです。

 

 

いただいた質問内容をヒントに、次のようなことを考えてみましょう。

1と2のような人たちと、3のような人たちの決定的な違いです。

たとえばこの記事を読んだ人がどう思うかで、記事の価値が左右されたりはしません。当然、僕もそんなことで一喜一憂しません。

あるお題に対して、その人がどう反応したかということが確定するだけのことですから

決まるのは記事の価値ではなく、読んだ人の価値の方なのです。

何かを感じ、それをどういう形であれ(どちらの方向性であれ)、フィードバックできる人かどうか。

その点で価値を問われます。

 

● 道端に咲いている花にたとえてみましょう。

その花を見て、「ああ、きれいだな」「ありふれた花だな」と反応を示す人と、気にも留めない人との差です。両性の法則からわかるように、女性性が開いているかいないかということですね。

● ラーメン屋にたとえてみましょう。

そのラーメンを食べてみて、「こりゃ旨い」「脂っこいな」と反応を示す人と、入店しようともしない人との差です。

● 公開されたばかりの新作映画にたとえてみましょう。

その映画を観てみて、「面白かったなあ」「駄作だったな」と反応を示す人と、映画館に足を運ばない人との差です。

 

どの場合を見ても感じますよね。
はじめの二人のほうが人間味がありませんか?

人間味があるかないか、つまり感動できる人間かどうかということです。

どう考えても無関心が美徳だなんて思えませんよね。

 

以前、世の中に笑わない子どもが増加しだしたことが話題になりましたが、もうそれが当たり前の世の中になりました。

その原因と解決法に関しては本題から逸れるので割愛しますが、とても恐ろしいことになっています。

今では、当時のそんな子どもたちが親になり、世の中に同じような人間を増やしつづけているのです。

どこかで歯止めをかけないと、この世は能面ヅラした人間で溢れかえることになるでしょう。

小さなお子さんをお持ちの方、ぜひ確認してみてください。

我が子が笑うかどうかを。