「お金と幸せ度にはまったく関係がない」という衝撃的な真実

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今回の記事は、お金がほしくない方や、お金と幸せ度に関係がないことなどとっくに知っている方には、時間の無駄になるだけなので、ぜひスルーしてください。

今を遡ること四十余年。
僕が8歳の頃のお話です。
小学校の低学年ということですね。
なぜ、年齢までハッキリ覚えているかというと、その翌年転校したからです。

当時は建売住宅がどんどん建設される時代でしたが、一件だけ西洋のコテージ風の家がポツンと建っていて、そこに住んでいたのでよく覚えているのです。
今思えば奇妙な光景ですが、そこだけ異空間みたいでとても楽しい暮らしでした。

まるで異空間

その頃、僕は無性に腕時計がほしくなり、父にねだったのでした。
当時は今と違って、腕時計といえば高価なもので、間違っても百円で買えたりはしませんでした。
何万円かはするのが当たり前という感じでしたね。

そんなわけで、子どもの僕がポンと買って貰えるわけはなく、一笑に付されてしまいました。
それでもあきらめられなかった僕は、父のしていたゴールドに輝く腕時計を見ながら、「なんとしても手に入れてやる」と思いつづけました。
いい方法があるわけでもなく、ただほしいなと思いつづけることをやめなかっただけなんですけどね。

どれぐらいの時が過ぎたかは定かではありませんが、ある日父が突然腕時計をくれたんですよ。
しかも、自分のしていたあのゴールドの時計を。
僕があまりにもしつこく、あきらめなかったからか、単に新しいものを買ったからなのかはハッキリ覚えていませんが、とにかく衝撃的なことでした。

ゴールドが眩しかった

当然、僕は喜びました。
これ以上ない幸福感に満たされた記憶があります。
そして、その後の何日間かは腕時計を眺め、至福のときを過ごしたように記憶しています。

ところが、しばらくするとその腕時計を見たときに違う感覚が芽生えてきました。
けっこう早かったと思います。
ほんの数日だったはずです。

間違いなく自分がほしがったものなのに、明らかに何かが違うんですよね。
何だと思います?
(針の位置が違うとかいわないように)

正解は、その腕時計の

所有者

が違ったのでした。

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「なんでいちいち隠すの?」
その衝撃的な理由はのちほど  こちらからどうぞ

これが違うだけで、そのものの価値は変わりはしないのに、こんなにも受ける感じが変わるなんてどういうことでしょう。
結局、モノ自体に価値はないのでしょうか?

小学生の僕にはとうてい理解の及ぶことではなかったのですが、一つだけ強く思ったことがありました。
将来絶対に忘れないようにしようと固く決心したのです。
だから、今この記事を書けているわけですけどね。

子どもながらに、こう思ったんです。

「ほしいものって、手に入った瞬間ほしいものではなくなるんだから、もうほしがれないんだな。手に入れてからより、ほしがっているときのほうがずっと楽しかった」

8歳の少年はそう思いました。
その腕時計は、もう少年にとってほしいものではなくなったのです。
もちろん、いらないから捨ててしまうということではありませんが、求める対象ではなくなってしまいました。

個人差があるので必ずとはいいませんが、少なくともその少年は、虚しさを感じるようになりました。
何かを求めるのが好きだったのでしょうね。
充足感で満たされたまま、のんびりしていられないタチだったのでしょう。

という僕の回想から何がわかるのか、もう一つ昔話を交えて解説しようと思います。
「そんなこと、オタクにわかるわけないだろう?」
などと誰にもいえなくするためにも必要なのです。

貯まる一方

今度は、20代の頃のお話です。
その頃の僕は、将来のことを考えお金を貯めることに専心していました。

ガッツや気合はある方だと思っていたので、ひたすら頑張ればいいんだと思い、長時間働き休みも減らすという策をとりました。
週休0日なんていう時期もありました。

まだ独身で子どももいなかったため、お金もかかりませんでしたから、貯金額はみるみる上昇していきました。
しかも、独りで3LDKのマンションに住み(二部屋は使用せず)、ほとんど毎日外食という生活をしていたのに。

どうにかお金を使おうとしても、使う暇すらありませんでした。
毎日寝る時間以外ほとんど働き、休みすら取りませんでしたから、貯まる一方だったのです。

何年かは、お金が貯まっていくことに喜びを感じていたかもしれません。
それを幸せだと勘違いもしていました。
ところが、この青年は8歳の頃と本質的には何も変わっていませんでした。

「自分は何しているんだろう?」

お金はあのゴールドの腕時計とまったく同じでした。
何の魅力もないし、ほしいものではなくなっていたのです。
たくさんあるんですから。
しかも、使うことさえできませんでしたし。
そんなもののために、身を粉にして働いていることが虚しく思えました。

「まったく幸せなんかじゃない。ぜんぜん楽しくもない

お金は使ってナンボ。
明日の朝マンションのエントランスを出た瞬間、暴走トラックに跳ね飛ばされてあの世行きなんてことになったら。

結局、人間なんて生きている限り、から切り離されないものなんです。
逆の言い方をすれば、その欲がなければ生きていけないのかもしれませんね。
何かを手に入れたり、願いが叶ったりしたら、また新たに何かを求め出します。
なぜなら、その過程にたまらなく幸せを感じるからですよ。
そりゃあ、やめられませんよね。

ということは、「手に入れる」「叶う」ということは、幸せとは一切関係がないということです。
それどころか、楽しく充実した

幸せなひとときの終わり

といってもいいのではないでしょうか。

「お金がほしい」「幸せになりたい」などといい、人生をムダにしている人たちにいっておきましょう。

そんなに終わりが楽しみなのですか? せっかくの幸せを感じるための貴重なときを、ムダなことに使っていることに気づきませんか? 僕なら、ずっとこの楽しみがつづきますようにと願いますよ。

正直、8歳の時点ではこのような形で公開するなんてことは、夢にも思いませんでした。
そして、40年以上の月日を経た今、もう一つ公開しておきたいことがあります。

思い返してみると、僕は8歳のあの日以来、

一度も「幸せになりたい」なんて思ったことがありません

それどころか、「幸せになりたい」などという不可思議な発想自体できない、といったほうが正しいかもしれません。
強制されたってできませんよ。
あの時点で、幸せとはなれないものだと知ったし、「本当の幸せが何なのか」も知りましたから。

その代わり、

  • どうすれば幸せを感じられるか
  • 今、幸せを感じるにはどうすればよいか

こういう考え方を常にしてきました。
しかも、無意識に、自然と

平安、落ち着き、安らぎ

人生とは、幸せをどれだけ感じられるかがすべてであり、そのためには感じる力を磨かなければなりません。

ズバリいって、幸せになりたがるということは、そのことを避けていることにほかなりません。
意に反しています。
遠回りしています。
いや、逆行しています。

お金さえあれば、幸せになれるなどというとんでもない幻想から抜け出せない方へお伝えしておきましょう。

今あなたがほしがっているお金なんてものは、手に入れた途端にほしくなくなります。
すでにあるものは、もうほしがれませんから。
そして、何かをほしがらなくては生きていけないので、再び新たな何かを求めだします。

そこで、またこう思うのです。
「その何かがないから、幸せではない。それが手に入ればきっと幸せになれるはずだ」

おや、お金が手に入れば幸せになれるはずだったのでは?
くり返していますよね。
何かがどうこうすれば幸せになれるなんてことは、絶対にあり得ないことだと気づかずに、死ぬまで不足に意識を向けたまま人生に幕を下ろすのです。

この虚しさ不毛さにどれだけ早く気づくことができるかが、あなたの残りの人生の価値を決めるのです。