今すぐ現実を変えられる「笑点」に隠された「盲点」

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以前こちらの記事で紹介した8歳の少年を覚えておいでの方も多いかと思います。

ちょうど同じ頃のお話です。

彼の家から数分のところに、小さな食料品店がありました。
当時はコンビニなんてものはなく、スーパーやそういった店が主流でした。

彼はよくそこに食パンを買いに行っていました。
家のお手伝いとして、食パン一斤だけを買いに出かけたのです。
小さな手に50円玉を1個握りしめて。

その当時は、よほど辺鄙なところは除いて、どの家庭も歩ける範囲にちょっとした商店があり、その店の人たちとの付き合いも兼ねて買い物に行くという感じでした。
お店というより、ご近所さんという感じのつながりがありました。

今では考えられませんよね。
今と違ったのはそれだけではありません。
レジ袋なんて洒落たものはなく、買い物かごや手提げ袋を持参するのが常識でした。

少年は8歳にもなると、さすがに買い物かごをぶら下げていくのが恥ずかしかったのか、手ぶらで買い物に出かけていました。
食パン一斤だけだし、手で持って帰れないことなどなかったからです。
店のおばちゃんも、なんかくれませんでしたから、いつも彼は両手で抱えて持ち帰りました。

さて、唐突ですが、ここで問題です。
ここまでに、今回のテーマに関わる重要なキーワードがありました。

それは一体何でしょう?

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ここで切ったことでバレバレですよね。

両手で

が正解でした。

  • 「なんで両手でなの?」
  • 「片手で持てない?」
  • 「8歳でしょう?」
  • 「もしかして、片腕を切断してしまったとか?」

いろいろ思いつくかもしれませんが、僕は両腕きちんとありますよ(笑)

「その頃はなくて、最近生えてきたとか?」
あり得ません。

正解は、当時の食パンは袋上部のひねってある部分がなかったからです。

要するに、ただの立方体ってことですね。
きれいに畳んであり、一度開けたらもうくっつかない、のりみたいな半透明のアレでくっついていたんですよ。

今でもありますよね。
使い途は違っても見かけないことはないはずです。

そんなわけで、さすがに片手じゃつかめませんよ。
子どもでなく大人でも無理です。
潰れようが破れようがかまわないというのならともかく、とてもじゃないけど無理でしたね。

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先日、食事の後かたづけをしているときに、食パンの袋を留めているアレが見当たらなかったんです。
プラスチックでできたアレですよ。

袋の口を留めようとして、ないことに気づき、妻に「アレどこいった?」と訊いたのです。
妻は「ああ、アレね。その辺に隠れているんじゃない?」と。

二人とも名前を知らなくて、アレアレ言っていたので、傍から見たらかなり面白い光景だったかもしれません(笑)

そのとき、先ほどの頃の話を思い出した僕はいいました。

「昔って、この上の部分のピラピラはなかったよね?」
「そうそう、なんか畳んで留めてあったわよね」

と意見が一致したところで、普通は終わるのでしょうが、僕らは違うんですね。
さらに僕は訊きました。

僕:「どうしてこんなふうに変わったと思う?」
妻:「衛生上の問題かな? 完全に密閉されていたほうが安全でしょ?」
僕: 「ふーん、たしかにそうだけど、違うと思うよ」
妻: 「じゃあ、何なの?」

僕は得意満面の表情でいいました。

持ちやすさだよ」

8歳の頃、さんざん持ちづらい経験をした僕は自信を持っていいました。
それを聞いた彼女は、「なるほどね~」と素直に感心してくれました。

でも、よく考えてみるとどちらが正解かなんて判りはしないんですよね。
両方とも違うかもしれませんし。

このことから面白いことがわかります。

僕は持ちやすさ、妻は衛生面が理由で変更されたというふうに、それぞれ異なったことを常識だと思い生きてきました。
しかも、何の疑いも持たずにですよ。

でも、事実は歴然と存在しています。
僕らの知り得ない正解というものがあるのです。

こんなふうに、自分の世界ではそれが常識としか思えないことが、他者の世界ではまったく異なっていることがあるものです。
それは、投影の法則を考えれば当たり前のことです。
誰でも自分で現実を作り上げているのだから、そんなことはいくらでもあり得るわけです。

こうして冷静なときに考えれば納得がいきますよね?
「たしかに、そんなことはいくらでもあり得るな」ってスンナリ受け入れられるでしょう。
では、突然あなたが常識だと思ってきたことが崩れ去りそうになったときは、どうでしょう?

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あなたが何の悪気もなく取った行動が、周りから奇異の目で見られたりしたら?
あなたにとっては、天地がひっくり返ろうとも常識としか思えない行動をですよ。

そうですね、あまり上手な喩えが思いつきませんが、

「食パンにマーガリンを塗ってからトースターに入れる」

なんていうのはいかがでしょう?

小さい頃から、そんなふうに教わって育ったあなたには、ごく自然なことだとします。
結婚して、旦那さんが目を丸くしているのを見たあなたは、それはもう困惑どころではありませんよね。

「一体何がいけないの?」

きっと思考を整理できずに、アタフタするだけでしょう。

冷静なときには、ごくごく当たり前なことに、場面によっては対処できないほどになってしまうなんて、理に適っていませんよね。

何か原因があるはずです。
あなたは、こんなことが起こる原因がわかりますか?
普通はわからないと思います(笑)

正解は、

俯瞰できないから

でした。

つまり、いつでもモノや出来事といったものに、自分を投影することに精一杯だということです。
うーん、もっと平たく言い表したいですね。

かの有名な笑点がわかりやすいでしょう。
あなたは、笑点でいうところの回答者なんですよ。
司会から出されたお題に集中しているわけです。

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ここで、その回答者たちを見ている人たちがいることに気づきませんか?
山田隆夫さんじゃありませんよ。

会場やテレビの前の視聴者です。

あなたは、この視聴者になるべきなんですよ。
回答者を演じている自分をも含めて、すべてを見渡すように努めてみると違うものが見えてきます。

「あ~あ、楽太郎さんの答はあんなのだけど、菊ちゃんのは最高だな」

こんなふうに、のんびり番組を観ていられるのは、視聴者だからですよね?
あなたは、『笑点』という世界から外れた一つ外側の世界にいるんですよ。

これがもし、あなたも回答者だったらそうはいきません。

「小遊三の奴め、今日はいい答を連発してるな。このままじゃ、そのうち自分は降板させられちまうかもな」

なんていう感じでね。

人生でも、まったく同じことがいえます。
この世の人々はみな、笑点でいうところの回答者になってしまいがちです。
ときには、視聴者になってみるといいですよ。

さまざまなもの(お題)に反応して生きている

あなたという回答者も含めて、この世界全体を見てみる

ということです。

自分なんだからという、ひいきもせず眺めてみましょう。
すると、おもしろいように達観できて気が楽になりますよ。

自分の世界というものから抜け出してみるのです。
(そんなもの視聴者から見れば、特別なものでも何でもないのですから)

笑点で誰が面白い回答をしていたなんてことを、いつまでも覚えていませんよね。
「さっきの回答よりつまらないのに、なんで座布団十枚なんだ!」
仮にそんなことがあったって、戦争が起きたりしないじゃないですか。

それとまったく同じことですね。
あれこれ考えて生きるのはもうやめて、視聴者になりましょう。

そして、これからは

『人生という番組』を楽しむのです。