他人は自分の映し鏡である。
という表現をわかりやすく説明します。
これは2番目の宇宙の法則である投影の法則を説明する際に、よく使われる表現です。また、投影の法則は鏡の法則ともいわれています。
「うつしかがみ」という場合、写す、映すのどちらなのか?
写し鏡ではありませんよ、映し鏡です。
映っているのは誰?
唐突ですが、他人に映っているのは、あなた自身です。姿こそ違えども、 そこに見える性質は、あなた自身のものにほかなりません
この段階で「ああそうですか、よくわかりました」という方がいたら、すばらしいですね。
懐かしく思い出しますが、僕が宇宙の法則を学び始めた頃、最初に戸惑ったのがこれでした。
こういわれて、「どういうこと? さっぱりわからない」となってしまったものです。
意外に思われるかも知れませんが、人はものごとを見たいようにしか見ません。
それがどんなに他者を変えようとしても不可能な理由です。
どうして自分なの?
見えているからです。
「知っている」と言い換えるとわかりやすいですよ。
人間は知らないものには、注意を向けられないんですよ。ですから、他人の言動が気に入らないというときは、
自分も同じ性質を持っている
といえるのです。
そして、正確にはその性質が自分の中にあることが気に入らないという心理がはたらき、あることをするのです。
それが
投影
です。
影を投げるんですよ。
自分の中にある性質を影というものにすり替えて、他人に投げつけるのです。まるでそれが初めからその人のものであったかのように。
すると、どんないいことがあるのでしょうか。
その人を悪者に仕立て上げ、ああだこうだと、ケチをつけられるのです。その性質は自分のものではないと思えることで、安心できるわけですよ。
その人は何ものでもない
例を挙げてみましょう。
上司が部下にいいました。
さて、あなた今、どんなシーンを思い浮かべましたか?
オフィス内での上司と部下のワンシーンでしょうか?
「おい、○○、どうしたんだ? お前らしくないぞ!」
「じつは、試合前の練習で軽く膝を傷めちゃったんですよ」
「やっぱり、そうか。軸足に体重が乗ってないなとは思っていたんだけどな。無理するなよ」
「はい、ありがとうございます。プレイに支障があるほどではありませんから」
社会人野球部の二人の会話でした。
オフィスだと思ったのはあなたです。
上司や部下ときいて、オフィス内だと連想するのは自然なことです。それはあなたの中に上司と部下のやり取りは、オフィス内がもっとも自然だという感覚があるからなのです。
でも、本当は
- 沖に出てボートの上で釣り糸を垂らしながらだって
- スカイダイビングしながらだって
- 呑み屋でワンカップ大関を啜りながらだって
なんだって、かまわないのです。
あなただから、オフィスのシーンが思い浮かんだのです。実際はグラウンドでの会話を、オフィス内のものだと勝手に決めつけたということです。
このように、人間は対象を自分の見方で好きなようにしか見ることができません。もし、「ここでは誰々の感じ方を使って感じてみよう」なんてことができたら、それはもうSFの世界ですよね。
投影の法則の場合、なんとなく投げるより貼りつけるという表現がピタッとくるんですよ。
本来違うかもしれない性質を、自分の見方というシート(影)で覆いつくしていくという感じです。こう考えると投影が起こるしくみがわかりやすくなります。
元々の性質は決まっていなくて、見る側が自分の見方と照らし合わせて、各パーツを自分の性質に貼り替えていく感じでもいいですね。
もうそろそろわかってきませんか?
あなたが「嫌だな」と思う人とは、
本当はどんな人なのかわからないのに、あなたのフィルターを通されたたために、嫌なやつにされてしまった人
のことをいうんですよ。
はい、投影が起こるしくみが手に取るようにわかりましたね。それをふまえて、つぎのことを考えてください。
他人の中に見えるものが自分だと理解できたら、その人の感じ方や考え方が他人に対するあなたの感じ方だと素直に認める。
それを、
- 「そんなふうに思わない」
- 「そんなことはないに違いない」
というあなたの願望で捻じ曲げてしまうから、自分が見えないのです。認めてしまえば、自分がよくわかりウソのように人生が変わってきます。
そうはいっても、「自分があんな嫌なやつだなんて、どうして認められるんだ」と思われるかもしれません。
たしかに、自分の嫌いな人が自分自身だと思えませんよね。
でもね、相手じゃないんですよ。そう感じているのはあなた自身なんです。
と同時に、それが
あなたの他者に対する感じ方
なのです。
ここで先ほどのシートの話を思い出してくださいね。
本当の自分が映る鏡
ここまで理解できたら、より実感してみましょう。
「これとっても美味しいって評判なのよ。あなたに食べてもらいたくて買ってきたの」
とケーキを差し出す彼女に対して、あなたがいいました。
「あ、ちょっと前おしるこ食べたばかりなの。あとでいただくわね」
さあ、自分の都合だけで答えたあなたは、気になってしまいました。ここで、あなたと彼女が入れ替わったところを想像してください。
せっかく気を遣ったのにそっけないなと感じる性質があるのです。
「せめて感謝の言葉ぐらい添えるのが礼儀だったかしら?」と思ったとしたら、あなたは他人に
せめて感謝の言葉ぐらいないのかしらと感じる人だということがわかるのです。
しつこいようですが、「彼女が」ではありませんよ。「あなたが」です。
よく考えてみてください。 彼女は何もいってませんよね?
このように、目の前にどんな映写機よりもリアルな生身の人間があなた自身を見せてくれているというのに、それを見逃す手はありません。
他人は自分の映し鏡であり、
この世界は自分を映し出す巨大スクリーンなのです。
投影の法則を徹底的に理解する